☆ ウマ娘 プリティーダービー 1・2話 元ネタまとめ & 聖地巡礼【阪神競馬場】 ☆

2018年4月から放送を開始したアニメ『ウマ娘 プリティーダービー』の元ネタと舞台巡りの紹介です。
◇◆◇第1レース◇◆◇

物語の主人公はスペシャルウィーク、1995年に生まれ実際にJRAで活躍した名馬です。
そう、この物語は実際に競馬で活躍した競走馬が女の子になってレースを走る作品なのです。
前髪の一部が白いのはスペシャルウィークの額にあった白い流星を意識されているようです。

物語は電車に乗ったスペシャルウィーク東府中駅で降りるところから始まります。
田舎から都会に出てきた設定のようです。
駅員「トレセンの最寄は次の駅だよ。」
スぺ「次!?」
駅員「もしかして間違えた?」
スぺ「えへへ、大丈夫です、走っていきますから〜。」
トレセン学園に転入してきます。

車を追い抜くスピードで走るシーンがありますが、サラブレッドはレースでは実際に時速60km前後で走ります。
時速60km制限の一般道では車より速いスピードで走っているということになりますね。
東京競馬場


そして辿り着いたのが東京競馬場
ここにトレセン学園という架空のウマ娘たちが通う学校がある設定のようです。
(実際の中央競馬の競走馬トレーニングセンターは茨城県美浦滋賀県栗東にあります。)
東京競馬場は日本で1番大きなスタンドを持つまさに日本を代表する競馬場です。
実際に京王線では東府中駅の隣の府中競馬正門前駅が最寄り駅になります。
背景もそのままでかなり忠実に緻密に再現されています。
JR府中本町駅から入場すると作中で描かれているままの圧巻の光景が広がります。
金の像は黄金の馬、アハルテケという馬種の馬の金の像があります。

11レースのパドックで目撃するのが1番人気のサイレンススズカです。
サイレンススズカスペシャルウィークより1年早く1994年生まれのサラブレッドです。

解説で登場するのは細江純子さん、JRAの元女性騎手で、今は実際に競馬中継の解説者としてもご活躍中です。
【1998年バレンタインステークス】

レースのモチーフになったのはこのレースです。
サイレンススズカが12番、前半1000mの通過が57.8秒というのも一致しています。
1000m通過は60秒前後が平均ペースなのでかなりのオーバーペースということになります。
並みの馬なら後半バテてしまうところですがスズカの真骨頂はそこから突き放す強さでした。

2・3着が1番と2番というところまで再現されています。
ゼッケンの色は黒地に白文字、これは実際にJRAで馬に付けるゼッケンと同じ配色です。

ちなみに他のレースは以下の様になっています。
・一般競争(新馬、未勝利、500万条件等名前のない競争):白地に黒文字
・特別競走(〜特別、〜ステークス等レース名の付く競走):黒地に白文字
・G3競争:緑地に白文字
・G2競争:赤地に白文字
・G1競争:青地に白文字
・クラシック競走(桜花賞皐月賞オークス菊花賞):青地に黄文字
日本ダービー:白地に黒文字(金色の縁取り)

これはウマ娘で描かれる今後のレースでも再現されているようなので覚えておくと楽しめますよ。
トレセン学園クラス分け】
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トレセン学園に転入したスペシャルウィークは、セイウンスカイエルコンドルパサーグラスワンダーと同じCクラスになります。

エルコンドルパサー「わたーしはーアメリカ生まれの帰国子女でーす!」
エルコンドルパサーは実際にアメリカで生まれ日本に持ち込まれデビューしたアメリカ産馬でした。

この4頭は実際に1995年に生まれた同世代の馬たちです。
歴代の名馬がキャラとして登場するウマ娘では様々な時代に活躍した名馬が登場します。
つまりこのトレセン学園のクラス分けは世代分けということになります。
トレセン学園チーム分け】
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後にスペシャルウィークダイワスカーレットウオッカゴールドシップサイレンススズカらと同じチームスピカに所属します。
エルコンドルパサーは名門チームリギルに所属することとなりますが、このチーム分けは一人のトレーナーがチーム一緒になって訓練を積んでいくということで、実際の競馬の世界では厩舎ということになるのでしょう。
[:H150][:H150]
学園内最強チームのリギルには、他にグラスワンダーフジキセキマルゼンスキータイキシャトルエアグルーヴテイエムオペラオーナリタブライアンヒシアマゾンシンボリルドルフがいるようです。
※このチーム分けメンバーは実際同じ厩舎というわけではありません。
ハルウララ
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そのチームリギルの入部テストで圧倒的な遅さを見せたハルウララは2003年に高知競馬で連敗を続け、100連敗を記録し愛らしい名前の影響もあってニュースにも取り上げられるほど話題になった馬です。
その遅さもちゃんと取り入れられてて微笑まし一幕でした。
【日本一のウマ娘とは?】
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チームスピカ内でトレーナーが日本一のウマ娘とは?との質問の答えにはこんなエピソードも。
ゴールドシップ「そりゃG1を勝つことだろ!」(芦毛馬として初のG1レース6勝馬
ウオッカ「俺はダービーだな!」(2007年、牝馬として64年ぶりの日本ダービー制覇)
ダイワスカーレット有馬記念だって!」(2008年、牝馬として37年ぶりの有馬記念制覇)
サイレンススズカ「夢、見ている人に夢を与えられるような、そんなウマ娘。」(1998年、ドリームレース宝塚記念制覇)
◇◆◇第2レース◇◆◇
【三冠ウマ娘

トレセン学園の授業で皐月賞日本ダービー菊花賞を制した馬は三冠ウマ娘になるというワンシーン。
最近ではミスターシービーシンボリルドルフナリタブライアンがその三冠ウマ娘に輝いたと教えられます。
権利の関係で紹介されなかった馬もいるようですが、実際は2018年現在、以下の7頭がクラシック三冠を達成しています。
・1941年セントライト
・1964年シンザン
・1983年ミスターシービー
1984シンボリルドルフ
・1994年ナリタブライアン
・2005年ディープインパクト
・2011年オルフェーヴル
スピード、スタミナ、運まで備え持った世代内で圧倒的強さの馬しか達成できないのは間違いありません。
トレセン学園スクールモットー】

生徒会室に呼び出されたスペシャルウィークは先ほど教わった三冠ウマ娘シンボリルドルフ会長と対面します。
そこでスクールモットーを教えられます。
Eclipse first, the rest nowhere.」
ルドルフ「唯一抜きんでて並ぶものなし。」
これはイギリスのことわざだそうですが、これにも馬に纏わるエピソードがあります。
18世紀、競馬発祥の国イギリスに圧倒的な強さを誇ったエクリプスという競走馬がいました。
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エクリプスを紹介する際に使われる有名な語句。デビュー戦でエクリプスが第1ヒートを圧勝した後に、オケリーが第2ヒートの全馬の着順を賭けてもいいと宣言した際に発言した。
意味は「エクリプス1着、2着馬はなし。Eclipse first, the rest nowhere.」。
当時のヒート戦のルールでは、1着馬から240ヤード以上離された場合には入着を認められないため、エクリプスが他馬を240ヤード以上離して勝つ、と予想したものである。結果、エクリプスが圧勝し、残りの馬は240ヤード以上遅れてゴールのため失格、オケリーの予想が的中した。この言葉はのちに有名になり「圧倒する」という意の慣用句として主にイギリスで使用された(Eclipse単体を動詞で使うと「相手を凌駕する」の意になる)。英和辞典にも「唯一抜きん出て並ぶ者なし」の訳で掲載されたことがある。
wikipediaより
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エクリプスは種牡馬としても大繁栄し、現在世界中で生産されるサラブレッドのほとんどは父を辿ればエクリプスに辿り着く、エクリプス系に属します。
ウマ娘に登場する馬もほとんどがエクリプスの直系ですが、シンボリルドルフ会長はこのエクリプスの直系ではありません。
シンボリルドルフトウカイテイオー

この時にルドルフ会長の後ろに隠れてたトウカイテイオーと出会います。
テイオーはルドルフを尊敬し、憧れる存在として登場します。
テイオー「転入生は三冠ウマ娘狙ってるの!?」
テイオー「会長は走るのも速くって超カッコいいんだ!ほんと最高だよね!」
テイオー「僕ね、会長みたいになりたいんだ!皇帝って呼ばれてる会長みたいに、それが僕の夢、目標なんだ!」
実はこの役回りはトウカイテイオーでなければなりません。
実際のこの2頭の関係は父と子なのです。
皇帝と呼ばれ、圧倒的な強さで史上初めて無敗の三冠を達成したシンボリルドルフを父に持つテイオーは幼少の頃から皇帝の息子なのでテイオー(帝王)と呼ばれていたそうです。
トウカイの冠を与えられたテイオーも父譲りの圧倒的な強さでデビューから無敗で皐月賞、ダービーの二冠を達成します。
しかし三冠最後の菊花賞を前に、骨折により父の成し遂げたクラシック三冠への夢は絶たれました。

オープニングで描かれているテイオーがビワハヤヒデを追い抜くこのシーンは1993年の有馬記念がモチーフになっています。
前年の有馬記念以来1年ぶりの出走になった最後の有馬記念、さすがに1年ぶりのレースは厳しいと思われたことでしょう。
●1993年有馬記念
奇跡の復活 トウカイテイオー 1993第38回 有馬記念 - YouTube

計3度にも渡る骨折を乗り越えて、父の制したジャパンカップ有馬記念を制したその姿は、たどり着けなかった憧れの父に少しでも近づこうとするように当時のファンには映ったのではないでしょうか。
この史実を知った上でこのテイオーのセリフを読み返すとグッとくるものがありますね。
タイキシャトル

トレセン学園にあるプールで練習をしていたのはタイキシャトルです。
実際の競走馬のトレセンにもプールがあり、調教に使われています。
タイキシャトル「私は魚とスウィミングしても短距離なら負けません!」
短距離〜マイル(1200m〜1600m)で圧倒的な強さを発揮したタイキシャトルは1998年、大雨の安田記念を制してフランスのG1に挑戦します。
海外へ渡り、フランスのG1ジャック・ル・マロア賞も制したタイキシャトルはその年、短距離馬としては初めてJRA年度代表馬に選出されました。
つまり当時4歳のサイレンススズカ、3歳のスペシャルウィークエルコンドルパサーを差し置いて年度代表馬に輝いているのです。
ナリタブライアンヒシアマゾン

負けて悔しがるヒシアマゾンを横目に悠々と昼寝するナリタブライアン
ナリタブライアンの鼻の頭に貼っているシールはブライアンのトレードマークだった鼻の上に乗せてる白いシャドーロールという馬具からイメージされたものだと思われます。
シャドーロールは頭の高い走法の馬に装着して視野を遮り頭の低い走りに矯正する馬具です。
同じ1991年に生まれたこの2頭ですが、国内産牡馬ブライアンと外国産牝馬アマゾンという対照的な2頭でした。
3歳時同世代の牡馬では圧倒的な強さでクラシック三冠馬に輝いたナリタブライアン
当時外国産馬にはクラシック出走権が与えられていなかった為に牝馬では圧倒的に強かったのにも関わらず桜花賞オークスには出走すらできなかったヒシアマゾン
アマゾンも阪神3歳牝馬S(現在の阪神ジュベナイルフィリーズ)、エリザベス女王杯と出走できる限りのレースでは強さを見せて2頭はその年の有馬記念で激突します。
●1994年有馬記念
第39回 有馬記念 ナリタブライアン - YouTube

生まれた年、時代が悪かった…ヒシアマゾンの悔しい叫びが聞こえてくるような気がします。
スペシャルウィークの生い立ち】

フジキセキがルームメイトのサイレンススズカスペシャルウィークが生まれてから他のウマ娘に一度も会わずに育ったことを話します。
近くに同世代のウマ娘もいない田舎で育って友達も作れなかったそうです。
そしてデビュー戦の前日、スペシャルウィークサイレンススズカに母が二人いること、産みの母はスぺを生後まもなく亡くしたことを打ち明けます。
育ての母は一生懸命に立派なウマ娘になれるように調教施設のない田舎でも訓練を積んで育ててくれたそうです。
この話も実際にスペシャルウィークが生まれ育った環境を元に設定されています。
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母キャンペンガールは本馬の受胎中に幾度も疝痛を起こして衰弱し、出産の5日後に死亡 (離れた馬房にいた本馬は母の死を感じたかのようにずっと啼いていた) したため、幼少期はばんえい競走用の農耕馬に育てられる。そのころを過ごした日高大洋牧場では、あまりほかの馬たちと行動をともにすることなくいつもひとりで遊んでいた。乳母の気性がきつかったため、人の手をかけて育てられた。人間を恐れず、人懐っこい仔馬であった。
wikipediaより
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スペシャルウィークのデビュー戦】

1話の最後に登場した航空写真、そして作戦会議で使われたコース図。右回りの芝1600m。
コースは完全に阪神競馬場のものです。スタート地点も現在の1600mの場所です。
実際にスペシャルウィークのデビュー戦も阪神競馬場の芝1600mでした。
●1997年、スペシャルウィーク新馬
スペシャルウィーク 3歳新馬戦 - YouTube

モチーフになったのがこちらのレースですが、実は阪神競馬場は2006年にコースが改修され、外回りコースが設置されました。
なのでこの頃は1コーナーのポケットにあったスタート地点からすぐに2コーナーを回り、現在の内回りの3・4コーナーを回って直線に入るコースでした。
そのため作戦会議で使われたものとは少し形状が違います。
馬番や先行して直線瞬発力で抜け出す形になるところはしっかり再現されています。

ダイワスカーレットゴールドシップの提案した作戦】

スペシャルウィークのデビュー戦前にチームスピカで作戦会議をしたときのワンシーン。
ウオッカ「で、スぺ先輩の作戦は?」
ダイワスカーレット「そんなの逃げに決まってんじゃない!」
ゴールドシップ「内から強引に突っ込んでいくべきだな!」
これは実際にこの2頭がレースで実践した展開に基づいてセリフが考えられているものと思われます。
そしてこれもオープニングのワンシーンで描かれています。

ダイワスカーレットが右回りで逃げて直線突き放すシーン。
これはどのレースか特定できませんでしたが、エリザベス女王杯有馬記念等、持ち前のスタートセンスと速さで何度も使ってきた彼女の得意戦法でした。
先行力がある名馬はレース展開を支配できるため、安定感があり崩れません。
ダイワスカーレットも気性的に大崩れしやすい牝馬でしたがデビューから12戦、1度も2着外すことはありませんでした。
そしてそれまで30年以上も牝馬が勝ったことがなかった引退レースの有馬記念を1番人気で迎えます。
●2008年有馬記念
有馬記念(GI) 第53回 ダイワスカーレット【HD】 - YouTube

いつも通り得意の逃げでレースを完全に支配したスカーレットは37年ぶりの牝馬制覇とは思えないほどのぶっちぎりの圧勝で競争生活に幕を下ろすことになりました。

桜の下でポッカリ空いた内を猛然と追い込んでくるゴールドシップ
こちらは外から強引にまくっていくレースが得意だったので内を突っ込むという作戦のレースはすぐに判明しました。
芝コースは稀に開催の後半や雨になると内側が極端にボコボコになり走りにくくなって伸びなくなることがあります。
この日の中山競馬場は開催最終日でもありそんな状況でした。
前のレースからそう判断した多くの騎手は勝つために内を避け、距離ロスを覚悟であえて外を回す戦法をとります。
そんな中ただ1頭荒れた芝も苦にしないと馬の力を信じ切って内を突いた騎手と馬がいました。
●2012年皐月賞
2012 第72回皐月賞 ゴールドシップ(HD) - YouTube

自分の力を信じてくれた名手の判断に応えるように力強い豪脚を繰り出して突き抜けた走りはとても印象に残っています。
ゴールドシップだけ見れば結局ロスのない内を通ったから勝てたのではと感じるかもしれませんが、2着のワールドエースがみんなが外を回した一番外に出していることを思えばやはり並みの馬には内は消耗が激しい馬場だったのでしょう。
ゴールドシップはこのレースから才能を開花させて、ヤンチャな性格でなかなかエンジンのかからないズブい面ももありながら圧倒的なスタミナで数々の大レースを制していくこととなります。
ウオッカダイワスカーレット

オープニングでも作中でも常に一緒にいながら、いがみ合っていて、仲がいいのか悪いのかよく分からない二人の姿が描かれています。
2004年、奇しくも同じ年に生を受けたこの2頭の牝馬はそれぞれ日本ダービー有馬記念という日本を代表する2つのレースを圧倒的なパフォーマンスで数十年ぶりの牝馬制覇という歴史的偉業を成し遂げることになります。
2007年に64年ぶり、史上3頭目日本ダービーを制覇したウオッカ、2008年に37年ぶり、史上4頭目有馬記念を制覇したダイワスカーレット
この2頭は3歳のクラシック路線から激しくぶつかり、4度の直接対決がありました。
チューリップ賞(G3):1着ウオッカ、2着ダイワスカーレット
桜花賞(G1):1着ダイワスカーレット、2着ウオッカ
秋華賞(G1):1着ダイワスカーレット、3着ウオッカ
ダイワスカーレットの2勝1敗で迎えた4度目に激突する舞台は1年ぶりの2008年、秋の天皇賞となりました。
ウオッカとしてはダービーを制し圧倒的な成績で得意コースとしていた東京競馬場ダイワスカーレットはこれが初めての東京競馬場です。
その年のダービー馬ディープスカイの参戦もあり、当時の牡馬もトップクラスの馬が集結し豪華メンバーになりました。
・2008年天皇賞(秋)
ウォッカ 2008年 天皇賞(秋) - YouTube

歴戦の牡馬たちを引き連れて真っ先にゴールに飛び込んだのはこの牝馬2頭。
タイムは頂上決戦に相応しいその当時のレコード。
13分以上にも及ぶ長い写真判定はまさに死闘、2000mを走って僅か2㎝差の決着だったそうです。
伝説の歴史的名勝負になりました。
◇◆◇オープニング◇◆◇
メジロマックイーンゴールドシップ

ゴールドシップメジロマックイーンに悪戯するシーンがあります。
この芦毛2頭にも血の繋がりがあり、ゴールドシップの母の父、つまり祖父がメジロマックイーンにあたります。
ゴールドシップ芦毛と桁外れのスタミナはメジロマックイーンから受けついだものなのです。

これらの衣装や髪の毛の色は、実際の馬の勝負服の色や毛色を元にデザインされています。
【レースシーン】
サビで疾走するウマ娘たちのレースシーンにもそれぞれモチーフになったレースがあります。
ダイワスカーレットゴールドシップトウカイテイオーは前述の通り。

サイレンススズカは左回りで逃げて突き放すシーンですが、ゴール板が東京のもので、エルコンドルパサーグラスワンダーが描かれていないことから前述のバレンタインSではないかと推測されます。

雨の中、右回りコースでメジロマックイーンが舞うこのシーン。
●1990年菊花賞
第51回菊花賞 メジロマックイーン - YouTube

スタンドに傘の花が咲いていたこのレースがモチーフになったのではないでしょうか。
当時条件馬だったマックイーンは偶然にも回避馬が出たことによりなんとか出走にこぎつけます。
主役はダービー2着だったメジロライアンでしたが優勝したのは伏兵だったマックイーンでした。
杉本清さんの「メジロでもマックイーンの方だ!」の実況は印象的ですね。
メジロデュレンとの兄弟制覇となったこの菊花賞を足掛かりにマックイーンは父子3代天皇賞制覇も成し遂げます。
残念ながら産駒から天皇賞馬は出ず、4代の天皇賞制覇は果たせませんでしたが、母父として、ゴールドシップ天皇賞を制してステイヤーの血を後世に残すことは叶いました。

ウオッカが左回りコースで馬群を縫うように突き抜けるシーン。
●2009年安田記念
第59回 安田記念 ウオッカ - YouTube

当時圧倒的な強さを誇っていた東京コースで圧倒的人気で迎えたウオッカ安田記念
直線前が壁になって塞がり、絶体絶命のピンチ!
しかし諦めていませんでした。僅かな間隙を突いて前が開けば後は圧倒的な強さにより突き抜けるのみ。
東京での絶対的な強さを示すレースとなりました。
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最後になりましたが、スペシャルウィーク新馬戦で描かれていた阪神競馬場の探訪記事を紹介します。
阪神競馬場

入場門。桜花賞前日だったので桜花賞仕様です。

パドック阪神競馬場のスタンドはパドックを中心に設計されているのでどこからでも見やすいパドックになっています。
時計が13時25分を指しているのはスペシャルウィーク新馬戦の第7レースと一致しています。
あと時計台がクリスマス仕様なのもスペシャルウィークがデビューした12月のものです。

パドックの2階からチームスピカでスぺを見守るシーン。

かなり忠実に緻密に描き込まれた背景で細部までピッタリ一致します。

コースから見たスタンドです。

スぺのレース後。

コース側から1階コンコースへ降りるスロープです。

今回は阪神競馬場しか行けませんでしたがここまでピッタリ一致すると気持ちいいので東京の写真も撮影したいですね。
競馬場のターフビジョンでもウマ娘のゲームのCMが流れていましたよ。
※4/15追記
4/14に行われた阪神競馬場バックヤードツアーに運よく参加できたので貴重な地下馬道を撮影できました!(掲載許可済)

競走馬がパドックからコースへ移動する一般の観客は普段は入れない場所です。

係員さんの案内の中で撮影したのでしっかり合わせるのは難しかったですけど近い雰囲気になっていました。

ウイナーズサークルから眺めるゴール板。
阪神のゴール板もしっかり描かれていますね。
ゴール板は6月の阪神開催の最終週の馬場開放でも直線コースも含めて撮影可能だと思います。
地下馬道は一般の方はバックヤードツアーでしか撮影は難しいと思われます。
この日のツアーはパドック内〜地下馬道〜ウイナーズサークル〜検量室というコースで案内していただきました。
検量室では若手騎手の方の質問タイムや記念撮影もしていただきました。

パドックの中とパドックの馬主席も撮影できました。
普段は立ち入れない関係者エリアのバックヤードツアーは大変貴重な経験になりました。
バックヤードツアーはJRAのHPをご参照下さい。
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このようにたくさんの競馬ネタがぎっしり詰め込まれたウマ娘プリティーダービーですが、アニメから入った方はよく分からないシーンもたくさんあっただろうと思いこうしてまとめてみました。
ギャンブルのイメージが強い競馬ですが、このようにこんな綺麗な競馬場で毎週のように幾多のドラマが生まれています。
サラブレッド1頭1頭に多くの関係者の思いがあり、それが渦巻いてドラマになっていきます。
ウマ娘から競馬に興味を持った方が一人でも多く競馬を知って見てもらえる方が増えるように祈っています。